藤島崇之 習志野

藤島崇之(ふじしま・たかゆき)1980年4月12日生まれ。 高校時代は習志野でプレーし、玉田圭司(長崎)らと高校サッカー選手権に出場。 順天堂大に進み、卒業後は青森山田中などで監督を歴任した。 2007年に昌平高の監督に就任し、14年に選手権に初出場。 先週の火曜日、ある高校へ取材に行ってきました。 今年栃木SCに完全移籍を果たした本間勲など、後のJリーガーがズラリと居並ぶ中、 A:なぜかメンバーに入れてもらえたんです(笑) たぶん練習試合とかの調子が良かったんだと思うんですよ。凄く良い経験をさせてもらえました。ただ、1回戦負けという... A:そうですね。全然ゲームに入れていなかったですよね。だって、トップチームの試合になんて出ていなかったですから。, A:出ていないんですよ。遠征にも帯同していなかったですし、システムの形とかもよくわかっていないですよね。「全部個人技だろ」みたいな(笑) だから、試合に出たことは覚えているんですけど、何をやったかまではいっぱいいっぱいで全然覚えていないんです。, A:はい。ただ単に「出たな」いう感じです(笑) でも、あの雰囲気というのは覚えていますし、あそこで試合に出られたというのは2年生や3年生になった時に、自分の中で自信になっていたと思うんですよね。それは大きかったです。, A:そうですね。左サイドハーフだったと思います。その時も本間(勲・栃木)くんがいたり、町田(忠道・柏、京都ほか)くんがいたり、そういう先輩がいたのでレベルは高かったですけど、やっぱり勝てるチームではなかったですよね。選手個人としては良いかもしれないですけど、今から考えるとチームとしての勝負弱さはありましたよね。強いのは市船みたいな。ああいう強さはなかったですよね。, A:たぶん西野(朗・元柏監督)さんは町田くんを見に来ていて、そこで「あのキーパーいいじゃん。誰なんだ?」ってなったらしくて。「オレらのおかげか」みたいな感じですよ(笑) それでシミケンさんがプロになったって聞きました。, A:PK戦に行くまでにウチにはチャンスがありましたし、それも何本も止めていますしね。実はその年はインターハイ予選で早めに市船と当たったんですよ。ベスト8ぐらいで。その冬に全国優勝する市船だったので、羽田(憲司・鹿島コーチ)さんとか原竜太さん(名古屋、湘南ほか)とか、藤沼(清登)さんとかいたチームで、その市船ともPK戦まで行ったんですけど、その時にスペインからコーチが来たんですよ。幸谷(秀巳・元アルテ高崎監督)さんって人が。, A:スペイン式なのかわからないですけど、「奪ったらすぐサイドチェンジだ」とか、「クロスは速いボールを上げろ」とか徹底してやっていたら、そのインターハイ予選で市船とPK戦まで行ったんですよ。理論派というか、自分の中でのサッカー観がしっかりしている方だったのでうまくハマったんです。, Q:でも、確かに高校生で"スペイン帰りの指導者"とか聞いたら、ちょっと変な説得力はありそうですね(笑), A:あるんですよ。それでちょっとずつ良い感触は感じていて。でも、そんなに長くはいなかったですけど(笑)、そんな経験もありましたね。3年生の時の選手権予選は闘莉王(名古屋)にFKを決められて。, A:決勝です。市船が推薦で全国出場が決まっていた年です。だから、高校時代はそんなに良い所まで行けなかったんですよね。1年の時の選手権が唯一の全国で。それ以外は「うーん...」って感じですかね。, Q:本田先生ですから当然技術を大切にする練習が多かったと思いますけど、習志野での3年間というのはご自身のベースを創る上でも、大切な3年間という感じなんですよね。, A:もちろんそうですね。朝練からボールを使ったドリブルやリフティング系が多かったので、トラップも含めてボールタッチが上手くなるというか、そういう所はだいぶ鍛えられたなという印象はありますよね。"走力"というより、"足下"というのが一番身に付いた時期なのかなと思います。, Q:習志野の中心選手と言えば、当然千葉の中でもかなりのステータスがあったと思うんですけど、大学は流通経済大に行く訳じゃないですか。そのあたりの経緯を教えていただけますか?, A:本田先生が順天堂大なので、僕も順天堂大(以下、順大)を受けたんですけど、セレクションで落ちてしまったんです。ウチらは全国大会での実績がないので推薦枠が取れなくて、そこから急に「勉強しろ」って言われてもという感じで。ちょっとしましたけど(笑), A:ちょっとしたんですよ(笑) でも、やっぱりちょっとそれは難しくて、そんな時に本田先生が中野監督(中野雄二・流通経済大監督)を紹介して下さったんです。でも、「『行きます』とかそういうことは言わなくていいから、とりあえず見てこい」という感じだったので、見学へ行くことにしたんですけど、まず「どこにある学校なんだろう?」と。「佐貫ってどこ?取手から先も電車が走ってたんだ」みたいな感じだったんですよ(笑), それで流通経済大に行って、中野監督と話している内に、その場で「もう行きます」という感じになったんですよね。しかも当時、同じ代に順大を落ちたヤツがいたんですよ。中島俊一って帝京から来ていて、今はJFLの流通経済大FCの監督をやっているんですけど、もう1人前橋育英から来ていたヤツも順大を落ちていて、たぶん"落ちた組"で練習を見に行ったんですよ。それで話を聞いている中で、大学は自分次第というか、言ってしまえばもう大人になる時期な訳じゃないですか。だから「ここでやれれば上手くなるし、サボろうと思えばいくらでもサボれる」ということを考えたと思うんですよね。中野さんも「これから強くしていきたい」という想いを持ってらっしゃいましたし、そういう熱意を聞いて「ああ、これは自分次第だな」と思って即決したんだと思うんですよね。「自分がここで努力さえすれば、この監督とだったら絶対にプロを目指せるんじゃないか」と、「流経を強くして行ったら注目されるんじゃないか」と、そういう風に考えて「行きます」と即決しました。, これは一番大きな出会いですね。順大に落ちて、そこでまた新しい方と出会ってという所ですから。でも、即決して帰ってきたら、習志野のコーチの方から電話が掛かってきて、「日大(日本大)に行けるよ」と(笑) 「日大に行けるけどどうする?」と言われたんですけど、「もう返事してきたので断って下さい」と。だから、あの場で返事をしていなかったら、たぶん日大に行っていたと思うんですよ。日大は当時関東2部でしたし、流経は都県リーグでしたから。, A:そうですね。でも、だいたいそれまでも自分が直感で動いてきた時には「ハズレがない」と思っていたので、そういった自分の閃きや直感は「大事にしていきたいな」というのは、その時から思っていましたね。, Q:ちなみに流経に決める前までの"直観"でいうと、大きなものはどういうものがあったんですか?, A:習志野に決めた時もそうですね。結局は自分で決めたので。あとはサッカーを続けるか、続けないかというのもそうです。順大に落ちた時に「続けるか、続けないか」というのもそうですし、そこで諦めるのが嫌だったから「続ける」と決めて。親とも「どうするのか」という話をしたと思うんですよね。自分に嘘をつきながら続けるのも嫌ですし、そういう気持ちでまた流経で中野さんと出会えたというのは大きなことですよね。, A:"つぼ八"では食べてません(笑) まだ、部員も80人くらいでしたけど、食堂でちゃんと食べてました。食事当番もいましたね。, Q:このインタビューシリーズで大宮の塩田(仁史)選手に流経時代のお話を聞いた時に、当時は中野監督が"つぼ八"の事務所で奥様と一緒に朝ご飯を作ってくれて、みんなで山の上にある学校にあった寮から下りて行って、それを食べてから学校に行っていた、みたいなことをおっしゃっていたんですよね。, A:まだ僕らが入ったような寮ができていなかったんじゃないですか。でも、全寮制になったことでサッカー部を辞めた人も結構いたんですよ。「寮生活はキツイな」みたいな。1年生の時はそういう感じでしたね。それでも阿部吉朗さん(FC東京、湘南ほか)は黙々と練習していましたし、阿部さんがいたというのは一番大きかったんじゃないですか。流経のプロ第1号ですし、「ああいう風にやればプロに行ける」というのを僕らに示した人なので。"阿部ロード"っていうのがあったんですよ。黙々と練習後に走るので(笑), A:あそこまで居残り練習をするとか、ああいう風に純粋にサッカーを楽しんで、サッカーを考えてということをしている先輩だったので、本当にああいう人が身近にいてくれて良かったなと思います。だから、しょっちゅうつるんでいましたよ。部屋に行って「どっか行きましょうよ」とか。それで特別指定選手としてFC東京の試合で点を取りましたし、そういうことは自分の中でも凄く励みになりましたよね。, 1年生の時は都県リーグを勝ち抜いて関東2部に上がったんですけど、その時の都県リーグには早稲田とか専修もいて、早稲田には千葉のGMの(高橋)悠太くんとか、同い年の植草(裕樹・清水)とかいたんですよね。1年の時は天皇杯にも出ましたし、プロのチームとも練習試合とかやるじゃないですか。そういう所で高校とは違う感覚というか、高校時代には感じられなかったポジティブな要素もあって、体を当てられてもよろけないとか、「あ、プロのスピードに追い付いてきたな」とか、そういう所で感触は得ていきましたよね。, A:そうですね。当時の2部には中央大の中村憲剛さん(川崎)がいたんですよ。明治大には戸川健太さん(福島)もいてレベルも高かったので、1部には上がれなかったですけど、3年の時に優勝して上がったんです。だから、今から考えると凄いですよね(笑), A:初めてお会いしたあの時に、中野さんと「関東1部まで上がって、1部で優勝したい」と話をしていた、その"1部"という土俵までは行ったので、単純にそれはやっぱり嬉しかったですね。でも、本当に遊ばなかったですから。実家に帰るとき以外は龍ケ崎から出ないんじゃないかというぐらい。学校も1,2年生の時に頑張れば、授業数も少なくなってくるので。, A:一応そうです。僕の代からできたんですよ。だから、ちょっと卒業しやすいんじゃないかということで(笑) 初めて作った学部だから、学校側もちゃんと卒業させたいはずじゃないですか。それで選んだんですけどね(笑) 阿部さんなんて、1回授業に出ていたら「アレ、凄い珍しい人がいる」みたいになったらしいんですけど、結局授業を受けに行ったんじゃなくて、先生に単位のお願いをしに行っただけだったという(笑) そういう学校生活というか、寮生活も面白かったですね。, A:レイソルが大好きで、今もゴール裏で先頭に立って応援している1個上の先輩で、僕の28番のユニフォームを着てくれているサポーターの人がいるんですけど、親の何かの都合だとか言って練習を休んだんです。それで練習が終わって、僕らがレイソルの札幌でのアウェイゲームを見ていたんですよ。13時ぐらいにキックオフされた試合で。そうしたらその人が先頭に立って応援している姿が、テレビに映っていたんですよ(笑) 「ほらな」「アイツ絶対コレだと思ったよ」って。先輩たちも「はい、アイツぶっ飛ばす」みたいな(笑) 電話しても全然出ないですし、「何サボってんだよ、アイツ」って。テレビに映っちゃったんですよね(笑), Q:ガチのサポーターなんですね(笑) でも、そこまでガチのサポーターの人が体育会でサッカーをやるって珍しくないですか?, A:岡部さんも1個上で、あの人もサッカー部で練習もやっていたんですけど、練習試合で審判をやっている中で、審判としてどこかの試合に派遣されるような機会ってあるじゃないですか。そういうのもずっとやっていた方で、いつの間にか審判の方に進んでいくような感じで、そのサポーターの人もそっち系だったんですよね。ゴールキーパーだったんですけど、全然才能なかったんで(笑), A:まあまあ(笑) 面白いキャラの人だったので。でも、寮生活は本当に面白いんですよ。書けないことばっかだと思いますけど(笑) まだその時は自由な方だったので、最近の話を聞くと逆に「信じられないな」と思いますけどね。やっぱりもう注目されるチームですし、ちゃんと"点呼"とかも取るみたいですし。, Q:この間、日立台で熊本がホームゲームをやった時に、流経の子たちがボランティアで来ていましたけど、本当に振る舞いが素晴らしかったですよ。, A:それは凄いことですよね。でも、もちろん僕も流経に行ったからこそプロになれたというか、その想いは強いので、「人生何があるかわからないな」と思いますよね。同期でも中島は名古屋に行きましたし、杉本(恵太)も名古屋に行って、冨山(達行)も湘南に行きましたからね。だから、高校生も諦めないことが大事だなと思いますよ。大学に行ったら、大学でやったことの強みというのが見つかると思いますし、大学に行って自分を磨くというのはアリだと思います。「大学に行ってもさらにレベルアップできる」と思って欲しいですよね。, Q:チームが上昇気流に乗っているタイミングというのはあったと思うんですけど、それでも都県リーグからスタートした大学生活で、4年間頑張ってJリーガーになるというのは、相当な意志の強さがないとできないことだと思いますけどね。, A:そうですね。でも、周りの人のおかげです。中野さんにも「そんなんじゃプロにいけないぞ」とか色々と厳しく言ってもらえましたし、常に周りの人に恵まれたというか、阿部さんみたいな人やシオさん(塩田仁史)みたいな存在の人もいましたし、やっぱり流経の周りの仲間が諦めさせないでいてくれたというのは大きいかもしれないですね。また仲間と一緒に何かを達成する喜びだとか、そういうことで日々成長していくというか、そういう4年間だったと思いますね。, A:強いですよ。やっぱり今でも湯澤(聖人)みたいなヤツでも、流経出身だと言われたらかわいく見えちゃいますし(笑), A:あんなヤツでもね(笑) でも、本当に常に気にはなりますね。調子が悪いと大平さん(大平正軌コーチ)に「練習がダメなんじゃないですか?」とか「厳しくないんじゃないですか?」とか言っちゃいますし(笑) だから、今の流経には大学サッカーを引っ張っていって欲しいというか、常に上位にいて欲しいですし、それでOBたちも頑張れるというか、良い刺激を与え合っていますよね。宇賀神(友弥・浦和)とか武藤(雄樹・浦和)とか頑張っていますし、今はシオさんも試合に出ていますし、そういうのも自分の刺激になりますよね。, この間"流経会"をやったんですよ。宇賀神やシオさんが主催という感じで、(鎌田)次郎も湯澤も行きましたし、江坂(任・大宮)も来ましたし。そういうのも刺激になりましたね。だから、"流経"って名前を聞くと今なら「ああ、サッカーの」となりますけど、当時はそういう感じではなかったので、やっぱり本当に流通経済大学には頑張ってほしいですね。サッカー部は特にですけど。, A:夢ですか?夢はずっとサッカーに関わっていきたいですね。自分の中では指導者をやりたいと思っているので、選手としてはもちろん「優勝したい」という想いは常にありますけど、指導者として「もっと選手を上手くさせたい」とか「こういうアプローチでもっと上手くなるのかな」というのは、現役として練習をやりながらでも「何かの助けになるのかな」と思っています。, 指導者としてさらに頂点を目指したいというか、だからそれが「ずっとサッカーに携わっていきたい」という想いに繋がると思うので、自分もそろそろそういうことを考えないといけない年齢でもありますし、そうなった時に今の内から考えておけばスムーズに移行できると思うので、そういった視点でも練習をやりながら感じた雰囲気を大事にしていきたいなと思っています。, Q:本田先生も中野監督も、それこそプロになってからの監督も含めて、結構インパクトのある監督ばかりに指導されていますよね(笑), A:ああ(笑) でも、本当に1人1人違う考えを持っていて、それは「本当に面白いな」と思っていて、色々な監督を照らし合わせて「あの時はこうだったけど、こういう考えもあるんだな」という所で、これが今後の自分に相当生きてくるというか、また色々な人と出会って接していくことは、本当に凄く大事だなと思っています。それをどう生かせるのかはまだわからないですけど、そこに一緒にいて、そこで一緒にやったという時間は絶対にプラスになりますから、そこで感じたことというのは大事にしていきたいですね。, 流通経済大では県リーグから関東1部までの昇格を経験し、4年時に特別指定選手としてJリーグデビューを果たしたFC東京へ2005年に正式加入。2008年途中からプレーしている柏では、J1を筆頭に数々のタイトル獲得に貢献。現在もチーム最年長として活躍中。, J SPORTS フットボール公式Twitterをフォローしてフットボールの最新情報をチェック!.

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